山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

喪中はがき

年の瀬を迎える12月になって喪中はがきが毎日のように届きます。
日頃お世話になっている方々の身の回りに悲しい別れがあった知らせであれば、一葉に込められた想いを然りと受け止めなければなりません。
そして、昔お世話になりながら、近年交流を欠き、疎遠になっていた忘れじの方の喪中ハガキを受け取ると、そのご逝去の日付けと見比べて、せめてもっと早く知っていたらなあとの悔いが込み上げる。
明石高校3年時の担任S先生84歳。先日表六甲ドライブに出かけた時、たしか先生宅は鶴甲のこの辺りだったよなあと、婚約写真を撮ったその足で、結婚式にご出席をお願いに上がって以来、お邪魔しようか探したが、先生宅を見つけられなかった。
明石高校音楽部大OBのGさん90歳)ご子息の明石での凱旋コンサートの3日後にご逝去。当日その見事な演奏に聞き入っていた彼に、そんな差し迫った事情があったこと露知らず。
高知県近畿連合会尼崎会長のTさん80歳。同郷の誼で、Tさんが当時交流を重ねられていたロスの高知県人会会長さんを、三男がロスに渡る上で、唯一の受け入れ窓口として紹介して頂いた。先日も尼崎に所用が有り、余程経営されている喫茶店をお訪ねしようかと住所までメモっていたが、時間を取られて果たせなかった。
・・・合掌 そして教訓・・・虫の知らせを信じよう。