山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

昭和35年(1960年)の分かれ道・関学JAZZチャリテイコンサート

今日は弟の属する関学軽音OBのBIGBANDコンサートということで、西宮上ヶ原の関学レセプション会館ホールに出かけた。
伝統ある関学JAZZの面々。もちろん北野タダオ御大(アローJAZZBAND)を筆頭に、プロ・アマのメンバーが勢ぞろい。
その様子は、ぼちぼちUPすることにして、共通一次センター試験実施中の関学校内に車を乗り入れたとたん、52年前と50年前、関学入試に複数回訪れたことを思い出した。
日頃、大学受験失敗で2浪したことを話のタネにしているが、商大以外全く受験しなかったわけではない。
高卒現役時は関学商学部合格。それを振って翌年商大のみを試みて失敗。2浪目にはさすがに疲れ果てて、早稲田・慶応の記念受験以外に関学・経済学部を受けて合格していた。
まあ、つくづく関学とはご縁がなかったんだけど、もし、2度の合格のどちらでも、関学に進んでいたら、きっとかの有名な応援団吹奏部に直行入部していたろう。
間違っても、サッカーを始めることは考えられない。
そうなると、多分弟も軽音ではなくて、吹奏部に来ていたはずで、今日の人生模様がガラリと変わっているはずだ。
そんなことを話したとたん、弘子ちゃんが、何故か嬉しそうな表情を浮かべたのを見逃す私ではありません。