山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

中村ひとし氏とはー明石高校出身の世界的造園環境学者

中村ひとし氏とは。(写真左端)

ブラジルの都市、人口約175万人のクリチバ市は、ブラジル人が住みたい街、No.1! 経済的に非常に難しい状態にありながら、都市環境の改善を低コストで行い、人を中心に計画された。
環境に優しい都市として成功をおさめた世界的に数少ない都市。
その立役者は当時の市長と、その片腕として活躍したのが日本人の中村ひとし。元環境長官として、人が住みやすく、エネルギーの浪費が少ない都市に変貌させたその発想の根底には、「自然との調和」という日本文化の伝統的な手法があった。

1944年、千葉県生まれ。兵庫県明石高校卒。 1967年、大阪府立大学農学部造園学科卒業。 1969年、同大学大学院農学研究科修士課程修了。 1970年から、ブラジルで農業学校を作るのを目標に同国パラナ州コンテンダ市の農場に農業移民として移住。農作業に打ち込む傍ら、ポルトガル語の勉強をしていたときの先生から市役所職員への造園職就職を斡旋され、1971年よりパラナ州クリチバ市役所に入所する。当初市街地に土地区画整理事業でできた余剰地に遊場を設置するなどの仕事が市長に就任したジャイメ・レルネルに抜擢をうける。レルネル政権のもと、一貫して緑地整備や環境問題、ファベーラ(スラム)問題に取り組み、パラナ州教育局・環境教育コーディネーター等を歴任する。 1989年、レルネル市長第3期目に環境局長に抜擢。就任に伴い(外国籍では市の要職に就くことができないため)ブラジル連邦共和国帰化。同職は1994年まで務め、都市緑化、リサイクル、スラム対策等に関する政策に取り組む。こうして同市は環境先進都市として国連環境計画賞を受賞。 1995年、レルネルがパラナ州知事に就任するとともにパラナ州の環境・水資源庁の長官に任命される。 2000年に同職を退官。以降はEnvironmental Consultant Instituto Jaime Lerner勤務。 環境市民大学で教鞭を振るう。