明石デパートは築70年ほぼ。明石でエレベーターが初めて設置されたビルとして大評判。その頃小生は国道の北側、映画館が5軒も立ち並ぶ中の一つ、山陽座の付属として
開店した さんよう喫茶の息子として、この界隈で育った。
明デパは株式会社明石商工会館と称し、当時の明石の名士・中部兼市氏肝いりで開館。
その土地は、これも明石地元の産業を代表する、阪神内燃機・木下吉左衛門氏の提供を受けての立地となった。
当時8歳だった私は昭和24年の闇市大火を肌を持って実感。延焼を逃れようと、下駄屋さんが、馬場写真館の店内に山程の履物を積み上げた現場に居りました。
その焼け野原に復興の象徴として の明石デパートは、市民を勇気づけるシンボルで有りました。