山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

インドネシア・コロナ事情 現地特派員の悲惨 ①

長男がインドネシアジャカルタの支社長就任から早5年。

社内恒例では5年が一区切りとか。そろそろ、戻ってくる頃と、待ちかねるうちに

このコロナ禍勃発。ネシアも立派な感染ゾーンだ。

現地のワクチン事情を聴いてみるに、中国製をバンバン打っているとのこと。

日本人間では、中国製は二の足を踏む。

となれば、一時帰国して日本で接種しかない。

どうするのか、ネシアの記事をあさっていると、この25日の飛行機で一時帰国するとの朗報が有った。

それも、羽田で到着後10日間はホテル隔離となるそうな。こんなに永いのは、ネシアとキルギスのみとか。よほど、低レベル・危険地域となってるようだ。

③最も身近なコネクション

咄嗟に思いついたのが、サッカー部1年時の4回生キャップテンK氏。

確か三菱信託にお勤めの筈。永らくのご無沙汰を謝して、関連会社名を出して、何か手掛かりが無いものか尋ねてみた。

返事は即返ってきて、そこなら同期のそれも商大OBの某君が出向している筈とのこと。

はやる気持ちを抑えて、某君に連絡を取って頂くよう懇願。

結果はこれも即有って、何と某君がこの案件の担当であると判明した。

斯くなれば、話は一気に進むこととなる。

 

②3%の魔法

ビギナーズラックとは言え、一瞬にして大枚をゲット。そこで調子に乗るなと言うほうが無理と言うもの。

俄然、情報収集と業者ネットワーク設営に勤しむ。

ここで、役立ったのが高校・大学の人脈だった。

1例を言えば、西明石駅北側の交差点東間際、当時400坪程の空き地が囲われて

進和工務店との看板が掲げられてかなりの時が経っていた。

当時、明石ダイエー東館地下で喫茶ブラジルを居酒屋風に改装して、夜逃げ先の魚住

から通う行き帰りに目に付いていた。

忘れもしない、その西隣に間口の狭いパチンコ店が盛業中。

その様子から、この店が隣地を欲しがっているのではなどと、うっすら考えていて最中

ライオンズクラブ時代の知人である不動産業者との雑談で、そのパチンコ店にアルバイトで出入りしているとか。景品交換の取次ぎ役だそうな。

早速、隣地の件、気になっているかどうか当たってもらうことになりにけり。

数日を待たずに、是非買えるものなら金はあるとの返事だ。

そこは、怖いものなしの初心者が出来たこと。いきなり進和工務店に電話を懸けて売却可能か話を聞いた。。

電話先の相手は、そんな電話は山ほど有って、買付証明持参ならお話は聴きますと態度が大きい。ついでに、御社は如何なる会社かと厚かましく聞くと、弊社は三菱信託銀行の系列で、この土地も信託からの預かり物との返事。

ここで、急いで電話を切り、同窓会名簿を繰ってみる。(続)

 

3%の人生ー不動産仲介業 ①

思えば平成3年土地神話真っ盛り、そして迎える暴落の時代。明石駅前での飲食店舗多数開店という

無謀な拡大策が当然の破綻を来した際、何とか命を永らええたのも、土地高騰のお陰だった。

詳しくは言えないが、その局面で飛び込んだ不動産仲介業の世界は、それまでの一応の実業での厳しさ

と比べれば、信じられないほどの低コスト・ハイリターンの世界だった。

何しろ、在庫なしの状態で、人様の土地・建物を買い手に繋ぐだけで、仲介手数料とやらが懐に入る。

最初に2号線沿いの居酒屋出店土地を、1億で媒介成立した際、まだ免許など有るわけもなく、知人の

不動産屋の軒先を借りての2割上納の、残り240万を手にした衝撃は、未だ忘れられない思い出。

以後30年、不動産仲介を天職として、60歳で不動産取引士の免許を手にし、同時に宅建免許も取得。

営々と仲介業のみに特化して今に至りました。

 

ジューン・アリスンも悪くない。

その昔、明石のブロードウエイこと、追手町映画館街に育った悪ガキが、全映画館顔パスの特権を駆使して、ひたすら過ごした映画館最前列席で、思わず見入った映画のひとつがグレンミラー物語。

最初、ジューン・アリスンのそばかす顔が気に入らなくて、もっとしゃれた女優が良いのにと思い込んでいた。爾来数十年の間、この映画を何度見直したことやら。

付属明石中学入学早々、あっさんに誘われて、ブラバン入部となった時、眼前に並べられたポンコツ楽器の中から、よれよれボーンを選んだのは、グレンミラー物語で、JSが

首をかたげて吹いていたイメージがそのまま有ったから。

その後、明石高校音楽部に進んだ際、有永先生に「そこのボーン、首がいがんでる」と叱られるまで、そのスタイルは変らなかった。