山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

ダイエー億条ビアガーデン⑪運命の暑い夏

今に残っている当時昭和50年から55年のBG月別・年度毎売上一覧表に、昭和53年の総計金額を赤鉛筆で囲み、横に「まちがいの元」と書きなぐってある。
初年度売上が4ヶ月合計 ¥28,998,170 に対して 昭和53年の夏は ¥52,098,520 とまさに倍増。気候上も近年まれに見る暑い夏。梅雨は空梅雨で明けるのも早かったそのうえに、7月など連日の猛暑でBGも平均日商80万を超す売り上げだ。
幸い、前年チケット出しがあまりに煩雑すぎるということで、富士電機のPOS会計機を導入。レシート券を左右正・副券のミシン目にした上に、左上部に切れ白を残し、ワンオーダーが一連のチケットでまとまる工夫をしていた。
この工夫がなかったら、あの狭いチケット売り場で、親父と弘子ちゃんがねじり鉢巻きに汗をぶるぶるかいて売っても50万がせいぜい。 初年度7月 ¥12,472,469 に対し 昭和53年7月 ¥25,108,100 どうです、私でなくとも舞い上がりません。
サントリーさんも頭を転がしている。そうそう、最初の担当で3年目になぜかお客様室長に転進していた佐々木氏もビックリして駆けつけてくるほど。
人気のカラオケONステージも、ビデオデイスクに変わり、お客様は今と同じ、スタンドモニターを前にして歌いまくる。・・そろそろ無理やりひっぱりあげずとも歌う客が絶えない状態となっていた。
おまけに妹の旦那の友人に頼んで、そのステージをビデオで撮影。そのテープは地下の喫茶ブラジルでの2次会でご覧くださいという仕掛けだ。
もう8月も終りに近い頃、喫茶ブラジルで明石駅前パチンコ王・N氏にばったりと出会い、話し込むことがあった。
この話し合いと、熱い夏がいつまでも続くという錯覚が、その後の私の運命を左右することになろうとは。