山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

朝日招待サッカーとは

淡水サッカーを語るとき、必ず登場するのが、朝日招待サッカー大会であり、第9回大会昭和26年1月13・14日開催の試合で商大が関東一位の早稲田大を3:2で破るという一大快挙の歴史的勝利であります。Jリーグが始まるまで、サッカーの花形は関東・関西学生リーグと日本リーグ(JSL)でありました。正月には実業団と学生リーグの一位が日本一の座を争う天皇杯が楽しみの一つだったものです。
昭和41年頃でも、関東リーグの決勝戦、早稲田の釜本と明治の杉山との一騎打ちなど固唾をのんでTVにかじりついて観たものです。
それ以前のまさに日本一を決める場としての朝日招待サッカーは、サッカーマンの夢の球宴でありました。この大会の結果、東西学生選抜メンバーが選出され、名古屋会場で東西戦が行われたものです。この第9回の朝日招待後、淡水サッカーからHB藤川、FW北村・殿村の3名が選抜されている。
この朝日招待サッカーがいつまで続いていたのか検索してみるに、朝日招待サッカー自体のWIKIPEDIAが有りません。是非とも朝日招待サッカーを詳しく調べてみる必要があります。ラグビーでは朝日招待ラグビーが56回を数えて盛んに開催されているのに。
この時の朝日招待サッカーの記事を当時の朝日新聞大阪運動部の大スポ―ツ記者・大谷四郎氏が、負けた早稲田をあげつらうことなく、よくぞ勝ったと神戸商大をべた褒めに書いております。日頃辛口で手厳しい評論を展開する大谷記者が、よくよく嬉しかったのか、商大の健闘を褒めたたえる記事を書いてしまったのには事情があって、記者の長兄で当時ブラジル東洋紡の社長をされていた大谷一二氏から、一二氏の母校、神戸商大サッカー部の指導をするように厳命され、このシーズンをコーチとして鋭意指導した結果の商大勝利であったからです。記事にはどこを探しても、この事実は出てこないが、
選手が教えを忠実に守って、小気味よくGOALを重ねていく、それも前半0:1からの後半の逆転劇とあらば、腹の底から快哉を叫びたくなつたのも分かります。

   (引用)タイミング・・またまた神商大を引っ張りだすが、対早大戦におけるFWの
      攻撃はパスのタイミングが良かったことに多くを負っていた。意識していたか否か
   は知らず、相手をひきつけ過ぎない内にパスした。インサイドなども一人を抜けば
   2人と欲張らずにパスした。この早い球離れが相手バックスの動きかけた出鼻を
   かわす結果となってボールは楽に味方へ渡った。 (大谷四郎記者)