山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

沖縄旅行・メンソーレとはいかない

CIMG9668A.JPG 思いがけない沖縄旅行招待。去年4月に結婚した、三男夫婦が私がまだ沖縄を知らないことを知って2泊3日で同伴旅行してくれた。三男夫婦も、弘子ちゃんも2-3回目の沖縄だ。
 ところで、沖縄と言えば、太平洋戦争で唯一内地・本土で地上戦があったところであります。私が4歳、明石・西新町で川崎航空機工場を狙った戦略爆撃にさらされて、逃げ惑っていたころ、この日米最後の大規模戦闘となった沖縄戦は戦われた。この想いは今回沖縄を訪れてみて想像以上に心に刻まれていて、初めて沖縄の島々を機上から確認した際、思わず両の手を合わせていたことから解る。単なる観光旅行、物見遊山とはいかないのである。先日も久しぶりにサンデー毎日に目を通した際見つけた「昭和史の大河を往く」の本土決戦幻想(3)に昭和20年11月1日開戦とする南九州上陸ーオリンピック作戦、その南九州を足がかりに本土・関東侵攻を目的とした昭和21年3月1日開戦とするーコロネット作戦の前哨戦であった沖縄戦アイスバーグ作戦とあった。沖縄戦に続き広島・長崎の原子爆弾、8月15日の玉音放送がなかったら、この両作戦が実施され大日本帝国が徹底抗戦した場合を考えるだに、身の毛がよだつ思いがする。その貴い犠牲総数188,136人と言われているが、沖縄戦沖縄県民の犠牲者は15万人にのぼるとされる。
 首里城を最初に訪れて、この邦は中国・朝鮮・南方諸島および薩摩の通商交易の中継点としての宿命を帯びた、異文化合い交わる中、中国との進貢貿易を継続するために、薩摩支配を隠蔽するためにも、大和めきたるものを排除したとされるが、やはり琉球民族と定義するべきと直感いたしました。