山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

ハッピーバースデー・ケネデイ暗殺

昨日は小生の69歳の誕生日。風邪も峠を越して、今は弘子ちゃんを悩ましている。夕方横浜の孫ちゃん2人からお誕生日おめでとうの電話が入った。
小3と保育園行きは元気に過ごしているようだ。サッカーの試合は無いのか聞いてみると、12月25日のクリスマスにあるよとの返事。すかさず見に行くとは云えなかった。何しろ暮れも押し詰まり過ぎ。
我が人生、こんなもんかとのあきらめが有って、昨日で親父と同い年。何時どうなっても良いんだが気に懸けてくれる存在があることで、当分は前向きで過ごそうと考え直す。
昭和16年11月22日と云えば2週間後には日米開戦・パールハーバー奇襲という時代。
そんな状況で生まれた訳で、その当時の両親はどんな気持ちでいたんだろうか。空襲で逃げ回るのはその3年後。なおかつ、その間に次男と三男を設けている。不幸にも一番可愛らしかった次男は、私の病院通いに連れ出して引かせた風邪が元で亡くなっている。これも心に刺さった棘の一つ。
子供達には、何せBKの暗証番号から1122で、この日は忘れず☎・メールで祝ってくれる。
今までで、一番思い出す誕生日と云えば1963.11.22だ。
思い出すだに身震いする、浪人2年目のうらぶれた誕生日。最悪の状況で、この年オープンした喫茶リオ・ブラジルの手伝いで気を紛らわせていて、周囲はもう大学進学を諦めたと思われていた。
そんなうらぶれた誕生日の日も代わろうかと云うころ、例の如く日本文学全集を抱え込んで、深夜放送を聞きながら、葛西善蔵位を読みふけっていた耳に、突如「ケネデイ大統領暗殺」のニュースが飛び込んできた。それこそその際の感想は、この世界がどうにかなってしまうのではないかと云う戦慄と驚愕だったことを、今にして思い出す。
これを書いている最中にニュース速報。韓国ヨンピョン島に200発の砲弾が北朝鮮から打ち込まれたとのこと。どうも私の誕生日前後には世界的に物騒な事が起ることになっているんじゃないかな。