山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

突っ込み龍馬伝④武市半平太切腹前後

 NHK大河ドラマの夢想癖は今に始まったことではないことは承知。新撰組では近藤勇と龍馬がマブダチだった。
今迄の龍馬伝のストーリーの中でいろいろ突っ込み処があったものの、大人げない振る舞いはあえて止めていたが、今日の龍馬伝に至ってもう辛抱もこれまでの感あり。
腰を抜かしたのは、龍馬が後藤象二郎を路上で捕まえて殴る蹴る三昧。
これが有ったら後年の長崎・清風亭の溝渕斡旋による象二郎との会談の冒頭どんな挨拶を交わしたんだろう。
歴史の時系列を無視してまでストーリーをでっちあげる苦労には同情するが、いささかやり過ぎにも程を考えてもらわないと、何も予備知識の無い例えば小・中学生が此の事を歴史上の事実として刷り込まれかねない。
以蔵が京都で捕縛されたのが元治元年4月のこと。たしかこの頃は龍馬は海舟の供をして、私が辿った豊後街道から長崎への旅の最中。
TVでは以蔵が拷問の果てにまさに自白寸前の様子からすれば、武市半平太が「君主に対する不敬罪」という訳のわからぬ罪状で三文字腹を切ったのが慶応元年(1865)閏5月11日37歳だからその直前のこと。
そのころ、龍馬は長崎で亀山社中を立ち上げ薩長同盟の周旋に走り回っていた真っ最中だ。
間違っても、高知に帰って、それも岩崎弥太郎相手に後藤象二郎を相手に立ち回りをやらかしている暇は断じて有りません。
NHKもここまで以蔵を引っ張るなtら、半平太捕縛に異を唱えて立ち上がった安芸郡・野根山屯集事件で身を捧げた清岡道之助以下23列士を取り上げるべきだ。
まして弥太郎が以蔵へ毒まんじゅうを運んだなど、まさに話を面白くする、弥太郎の出番を確保するためだけの筆の曲げ方にちがいありません。巨費を投じて嘘話を広めてどうするNHK.。即刻放映を打ち切れ。

追白ー以蔵とともに斬首になったのは同じく土佐勤王党の久松喜代松・村田忠三朗・岡本次郎。
この4人はむしろ下目付・井上佐市郎殺しの下手人としての処刑ではなかったか。
突っ込み龍馬伝③を参照してください。