山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

ターヤン(伊藤隆文師匠)追悼の会打ち合わせ

 この29日、西明石の花園B1で開かれるターヤンの追悼の会の打ち合わせがあった。
先のブログでもうターヤンの事は書かないと宣言したが、やはり思いは35年前に遡って終う。
結局ジャスコ8階へ移転して私の力が至らずに閉店を余儀なくされた昭和63年(1988)までの15年間、演奏者の一員として伊藤JAZZ教室を堪能した。この間6回に及ぶGOOD TIME JAZZ CONCERTを開催。2度のTV番組借り切っての出演。そして数々の催しのアトラクションとしてステージを踏んだ。
外人倶楽部のダンスパーティでの演奏はまるで異国に連れて行かれたようだった。
謂わば、ターヤンのプロ時代のネットワークを使って、明石へ帰ってからの全盛時代を共に過ごさせて貰った。
それからでも20年経つが、未だにターヤン節が身に沁みついている。
その追悼の会の初めに、名曲「ヨモギ」を歌えと言う。
この曲は昭和53年頃か、ターヤンが誰を想って書いたのかは知らないが、誰にも知られずに山の隅に生えているヨモギが3本あると言う。その一本はターヤン自身なのだろうが、あとの2本が誰を指すのか未だに論争の的となる。
ひっそり明石の田舎でラッパを吹いているボサリオ3管(1PET・2BONE)を言うのか、あるいは単なる言い回しなのか、未だに分からない。
作曲された当時はあまり良さが分からなかった。所がメンバーの細君がこの歌を自ら歌いだして、ヨモギと言えば彼女の持ち歌と言うことになった。
その彼女が惜しくも逝去されて丸1年経った。
その彼女の葬儀の際、ターヤンにヨモギの歌詞を確かめてブログにUPした。(2009.8.2)
何か虫が知らせたのではないのかな。一年後その歌を献じることになろうとは。
打ち合わせの場に、ターヤンと我々兄弟の2BONEでの演奏CDを持ち込んで、花園グループのみんなに聞いて貰った。その感想は「こんなターヤンは聞いたことが無い、知らなかった」とこれ程の吹き盛りにご一緒できて羨ましい限りに尽きるとのこと。
改めて良き時代にターヤンを演出出来たことの幸せを噛みしめた次第です。