山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

龍馬最後の5日間・4通の手紙

偉そうに龍馬最後の5日間の心情等と称して駄文を書き綴っておりますが、内心この結末をどう付けるか暗中模索の迷路に迷い込んでおります。
しかも庫山堂先生の厳しいチェックもあり、しどろもどろ。そこで龍馬研究の常道とされる手紙に舞い戻って11月10日からの書簡を読み直す。
現時点で宮地佐一郎先生が推定と但し書きをされたものを含めて4通。
(最近は、なお龍馬に関する新事実発見が報じられていることから、まだ増える可能性有り。)
そのあて先は 
  11月10日   林謙三宛   順助宛(高松太郎・坂本直は慶応3年後半小野淳輔と称していたので淳輔=順助と推考)
     11日   林謙三宛
     13日   陸奥宗光
     14日   坂本清二郎宛  

このうち淳輔=順助宛の手紙の内容は100両の借金返済督促で、元金返済が出来なければせめて利息だけでも払えと迫るもの。死の直前まで龍馬に金繰り算段が付いて回っていた。
また、陸奥宛の手紙の内容は、その文面を見る限り、他愛無い刀自慢と取れるが、刀を別物の隠語と考えると違う解釈が有るかもしれない。
坂本清二郎への手紙の意味は、全く身内の悩ましい事ごとで、出来の悪い春猪の亭主を持て余していた事情を知れば、余り重要さは感じられない。
とすれば、林謙三に出した2通こそが永井玄蕃と直に交渉した内容を伝えるべく書かれた龍馬の一番の関心事を伝えるものとなる。
さて、この林謙三とは何者。