山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

明石駅前再開発パブリックコメント下書き②

ダイエー撤退以降】
  全盛時にはダイエー全店舗売上ベスト5に入っていた明石店も、坂道を転がる様に売り上げが落ちて行く。100均、書店などを取りこんでの効果も思うよ うには上がらない。
 それと同時にバブル崩壊による本体の弱体化が進み、不採算店舗閉鎖の流れにのみ込まれた。2005年(平成17年)8月末、静かに暖簾を降ろした。約4 0年の歴史を閉じた。

 それ以降、2号線沿い北側の人通りが激減。夜などは人影が見受けられないほど。
 3軒並んでいたダイエー店舗の内、東・西の2館は所有者が変わった。
 辛うじて、真中の柏木ビルだけが何とかテナントを確保して営業中。皮肉にも今が一番店舗効率が良いようだ。

 この間、平成6年、懸案の山陽電車高架化の大蔵谷駅―明石川間1954mが完成して駅前広場が整備された。
 以前には線路に阻まれて泥んこの道路でしかなかった裏道一帯が明石駅正前の顔となった。

明石駅南・中心街活性化計画浮上】
  東西の元ダイエービルがまるで幽霊ビルのように暗闇に蹲る。勿論テナント招聘の努力が有ったに違いないが、どうこうする余力がもともとの所有者には  残っていなかった。
 そんな中、国が中堅都市の中心部、即ち駅前一帯を重点に再開発を促す中心街活性化を打ち出し、補助金も格別の優遇を示す。
 いち早く、この機会を逃すなと専ら市役所の主導で再開発の動きが始まった。
 幸い、この駅前南一帯は地権者がかなり少数で、意見の取り纏めが容易に運ぶ。
 この惨状を見れば誰が考えても何とかしなければと考える。
 そして本来果たすべき駅前機能を全く果たしていな中、売却、相続などで権利が拡散してしまわないうちに方向を一本化する必要がある。
 その意味では、準備組合が早々と立ち上がり、出足は好調のように思われた。
 しかし、問題はその透明性にあった。再開発利権が早々特定の機関に確保されていく。
 先ず取り付けねばならない筈の市民のコンセンサスが後回しになった。
 そこに、このまま話しが進むかどうか当事者にも裏付けの希薄さが付きまとう。
 そんな時、北口市長と市幹部との軋轢が表面化。聞いていた市長主導の再開発内容も宙に浮き、莫大な市費をつぎ込む判断を現市長が回避、ついでにその職も 投げ出した。前代未聞。

【再開発計画の安易さ】
  明石駅前一帯の再開発はこれが最初と云う訳では無く、キーテナントの再三の変更に翻弄された東仲町再開発という羹に懲りたトラウマがある。
 そこで考え出されたのが、キーテナントは市役所窓口機能という案。
 この方針は、あまり議論されないままに既定方針として固定化して行く。
 再開発で生じる可処分床の殆どを市役所が買い上げれば、再開発の懐感情は容易になるが、それでは、いまの雑居店舗と市役所窓口を寄せ集めただけのもの。
 明石駅を通過する乗降客を駅前・魚ん棚に取り込む魅力は皆無となる。
 即ち、再開発の主体者が目先の銭勘定に走るばかりに、明石の玄関に相応しい平成の城下町造りを忘れ果てたプランの印象を与える事となった。

 それが証拠には、去年の3月時点では、ダイエー西館を取り残して、歪な地形のママで再開発決定に突き進もうとしていたのは事実だ。

明石市役所の立地・最終地】
  3.11以来、日本国中の既往の価値観が引っ繰り返った。耐震対策あるいは建て替えが目前に迫った明石市役所はなんと日本中で一番海岸に近い立地だ。
 ワンマン吉川市長の鶴の一声で海岸に移転した役所は、もともとは2号線南沿い、日新信用本店の北側にありました。油引きの超古い木造であったのを覚えて います。
 そして兵庫県知事も津波想定を2.5メートルから倍の5メートルへと変更宣言。
 下手をすれば、大阪府橋下知事固執する南港WTCへの庁舎移転話の二の舞となる。
 橋下津波マップによれば、大阪梅田の地下街も海の底となり、さすがにWTCへの移転は取りやめとなる方向だ。他にも、洲本市役所が建築中に拘わらず見直 しを進めている。

  よもや、今の場所に市役所を立て直す愚策は考えられない時代となった。
 とすれば、この駅前再開発を奇貨として、出来るだけ市民対応の部署をこの再開発ビル上階に集約。と同時に避難場所にも供用する。
 また、紙データのバックアップを明石博物館内に設け、なお他の市役所機能を上の丸、太寺に移し、丘陵地の活用を計る。
 実際は福井市のように場内に移転させるのが城下町プランとしては最適だ。
 しかしその昔、財政難から維持費出費を嫌って明石公園を県に移譲してしまった付けが 回ってきてこの案は実現困難とされている。
 お濠の下に地下駐車場も造れない。

【結論】
  結果、この再開発を逃せば市役所の移転先も100年懸けても見つからず、地震津波に怯えながら立ち往生となる。
 また、駅前の皆さんも、この機会を逃せば100年今の地に埋没。駅前の再浮上は夢と消えます。
 
 かくして、再開発の情報の徹底開示により市民の民意を集約し、事業開始に踏み切る。
 ただし、今のお気楽プランを練り直し、城下町復興の夢プランを、平成の宮本武蔵案を作り上げる。
 明石駅に降りたち、気がつけば魚の棚へと足を運んで買い物をしている様な、街一体化のプランを。