山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

原爆の次の作戦・枯葉作戦だった。

ベトナム戦争における枯葉作戦の後遺症は2・3代に引き続きさまざまな影響を与え続けている。
ただ現在では出産前の検査で胎児の異常が発見され、出産に至らず処置さるため、症例としては少なくなっている。
ベト・ドクちゃんに象徴される異常児出産は枯葉剤に含まれるダイオキシン等のもたらす深刻な人体へのダメージを世代を超えて与え続けるというおぞましい
地獄絵だ。
実はこの作戦が太平洋戦争末期、日本に対して準備されていた事実が明らかに。
それも原爆2発を見舞ったのち、なお日本が降伏しない場合を想定してのことだった。
実際、攻撃範囲も明記された作戦計画書が残されている。
その内容は、東京・横浜・名古屋・大阪・京都・神戸近郊の稲作地帯にチオシアン酸アンモニュウムを空中散布し、作物から何から枯れ尽くす作戦だった。
無差別絨毯爆撃で都市部を壊滅させたうえ、たまたま天候でお鉢が回っての広島・長崎への原爆投下。その上なお、作物を枯れ尽くし、結局は飢え殺しを狙うという
極悪非道の化学兵器をも使おうとしていた。
もし現実のものになっていたら、旧明石郡である西区一帯も標的になっていた。上津橋に疎開していた我家族も罹災し、今日は無かった。
枯葉作戦という言葉に騙されてはいけない。ベトナムでのその所業は明らかに国際法で禁じられている化学兵器使用に他ならない。
さすがにこの作戦の非を悟ったのか、使用を中止した後、ベトナムへのロジステック拠点であった沖縄で、廃棄処理そのほかで住民に影響が有ったとされる事例も報告されている。米国は今後ベトナムでの枯葉剤除染を完了させるのに20年の月日と、莫大な費用をつぎ込まなくてはならない。
日本に対して企図考案され、ベトナムで実施されたこの悪魔の作戦を無慈悲にも実行した米国に後悔・反省の微塵も感じられない。
われわれはこのような無慈悲な軍産復号国家を相手にしていることを忘れてはなりません。
米国は日本を本当に守る気が有るのか。・・・ここが思案のしどころだ。