山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

下戸の悲哀

大酒のみの本場・高知の血を引きながら、親父からして御猪口一杯で顔が真っ赤。たぶんアルコールアレルギーなんじゃないかと言うほどお酒に弱い。
この日本社会ではお酒に弱い。当然宴席の付き合いが悪い。職場では酒の席で情勢が決される。といった悪循環の末、サラリーマン勤めはとても無理。仕方なく自営業者との道を辿った。
幸い、弘子ちゃんが底抜けの酒豪で、日ごろはめったに飲まないが、飲むと底なし。どうやら息子たちはその血を受け継いで、強いこと強いこと。
何時も弘子ちゃんと息子たちの酒盛りが始まると、一人はみごとなりにけり。
だから、商大の同期がちょっと集まろうと声を掛けてきても、あまり行く気は起こらない。各種会合でも本会が終わればさっさと引き上げる。
自然とまわりは声を掛けてこなくなった。
しかし、調子よく飲みすぎると心臓が苦しくなるのではどうしようもありません。
特に、最初のサラリーマン・入江商店時代、酒好きの御客の接待となれば、少しは飲まねばならず、トイレに駆け込んで戻しながら相務めた覚えが有ります。
新日本製鉄・君津製鉄所の工務課長はやはり、鉄鋼マンながら酒が弱かった。
その課長さんにある日声を掛けられた。「津野君、飲み会よりも館山銀座のストリップに連れて行ってくれ」。同病相哀れむとはこの事か。