山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

明石吹奏楽の潮流

明石・吹奏楽80年

年月日 出来事 大正12年4月(1923年)市立明石中学校開校。 大正15年音楽部創設。当時は楽声部的なものであったといわれる。 昭和2年 ハーモニカ・バンド編成。 昭和3年4月1日 県営移管。 昭和4年 有永正人先生着任。 昭和5年 5月27日、中崎海岸ボートレースに…

行進曲「若き日の歓び」舞子五郎作詞有永正人編 昭和39年(1964年)明石高校音楽部演奏

FACEBOOKで明石高校音楽部後輩・橋本維久夫君から投稿があり、このYOUTUBEを見よとのこと。 このビデオの存在は知っていたが私には幻のビデオであった。 明石高校音楽部と云えばマーチ。マーチと云えば「若き日の歓び」が我々の誇り。 作詞の…

全日本吹奏楽連盟70年史入手

遅まきながら平成20年11月1日発行の全日本吹奏楽連盟70年史を入手。2008年といえば3年前。普門館での全日本吹奏楽コンクールは第54回。そして今年は第59回が10月23日開催される。 残念ながら今年は中学・高校とも兵庫勢の姿はなかった。ラストチャンスと思…

大条奈古作詞・有永正人作曲 「この道の」復刻キ

[明石吹奏楽の潮流]大条奈古作詞・有永正人作曲 「この道の」復刻キャンペーン 昭和32年明石高校で愛唱歌募集があり、歌詞入選作に音楽部顧問(英語教師)有永正人先生が曲を付けられた。たぶん、この愛唱歌募集は一回限りで終わったが、何故かこの曲が折に…

明石中学校音楽部歴代・恩師有永正人先生のスクラップブックより

もう4年も前にお預かりしながら、詳しくその内容を拝見することなく保管していた恩師・有永正人先生のスクラップブックの断片を遅まきながら拝見する。装丁が剥がれ、多分もっと時系列を追っていろいろ写真があったはずながら、とびとびのその写真に驚きを…

全日本吹奏楽コンクール今昔

偶然見た去年の全日本吹奏楽コンクール。今やラッパ吹きの聖地となった東京・普門会館。その回数は第58回。 私が高校2年で出場して、あろうことかグランドマーチで全国優勝を遂げたのが昭和33年第6回。2枚の写真を見比べしばし絶句。

昭和32年全日本吹奏楽コンクール一般の部・第3位

先日より神戸商大サッカー部のOB対談を開始。といっても学部1回殿村氏とお話をしただけだが、その際頂いた資料の整理だけでも大変なことになっております。というのも、ただ単なる記録として整理すれば簡単な話ながら、いちいちその資料を吟味賞味して尽きる…

新幹線一番列車

やっと東京ー青森間の新幹線が修復した。その一番列車に特に被災地の人々が沿線に繰り出して、歓迎のエールを贈った。これは九州新幹線開通時にやはり沿線に夥しい人々が繰り出して、いろんなパフォーマンスを演じて歓迎の意を表した。 この様子は大震災と重…

明石吹奏楽団40周年の原点

あれは昭和46年小生まだ30歳。山手照夫先生の言いつけで広く明石市民に呼びかけて市民音楽団を」結成となった。結果は当時山手先生が教えておられた明石商業の吹奏楽部の現役・卒業生の参加が多数あった。ある意味明石の吹奏楽の本流である明石高校OBの中で…