山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

新幹線一番列車

やっと東京ー青森間の新幹線が修復した。その一番列車に特に被災地の人々が沿線に繰り出して、歓迎のエールを贈った。これは九州新幹線開通時にやはり沿線に夥しい人々が繰り出して、いろんなパフォーマンスを演じて歓迎の意を表した。
この様子は大震災と重なりほとんど報道されることはなかったが、東北新幹線復旧に先んじてJRがこの様子をコマーシャルで流した。
このコマーシャルが梃となったのか、純粋に復興のシンボルとして一番列車に手を振ったのか、列車を見守り、見送る人々の顔は明るく輝いていた。

これと同じ感激を今日の神戸新聞明石版・特集「記憶を記録する③」を見て思い出した。
熱気こもるセレモニーと題して山陽新幹線開通の一番列車が新幹線・西明石駅に到着した際の歓迎セレモニーの写真が掲げられている。1972年3月15日のことだったそうだ。
開業一番列車の運転手が運転席から身を乗り出して花束を受け取った。駅ホームには新特急列車運行を歓迎する関係者が晴々とした表情で集まったと書いてある。
その写真右中段に4人のラッパ隊が並んでいるのが見えます。このメンバー写真こそが、このブログとブログ「つのしんの独り言」で何度か書いた新幹線開業ファンファーレの証拠写真であります。
到着列車に背を向けて指揮をする角刈り頭の人物が、誰有ろうこの私ということになる。この前々日、明石吹奏楽連盟の山手理事長から「伸ちゃん、新幹線歓迎セレモニーでファンファーレを頼むわ」という連絡が入った。
大慌てで、大江健司・大西慶一郎・橘哲哉君・辰巳純一君(TB)ら中学生を駆り集め、簡単なファンファーレを作曲して、練習もそこそこに臨んだものです。

4人のうちあとの一人の名前が思い浮かばない。ごめんなさい。名前を憶えているこの3人のうち、大江君は大阪音楽団のトロンボーン奏者、大西君は同志社理学部の研究者で同志社オーケストラのトランペットで活躍し、今もマネージメントに拘わっている。この写真ではとてもそんなところまで見極め出来ようもないが、映っている本人にははっきりと目に浮かぶ。
嗚呼、40年前の姿を確認し感慨一入。早速神戸新聞サポートセンターに電話してもっと鮮明な写真を注文しよう。