山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

株式会社入江商店①河井雄輔・自称島耕作

今日11月4日かねてより依頼のあった堺市堺区築港八幡町新日鉄株式会社所有地の調査に出向く。
昭和41年4月なんとか潜り込んだ入江商店に入社してのち、本社研修を経て、現場研修の地がここ八幡製製鉄所ちかくの堺営業所だった。
 同期生は3人。大西・広瀬と私。この3人が泊まり込みで堺営業所の業務内容をどう勉強したのか、まったく覚えていないのはなぜなんだろう。広大な製鉄所構内を見学して、ただただその雄大さに圧倒されたことは覚えています。この現地研修ののち配属されたのが、姫路市にある富士製鉄広畑製鉄所正門前の広畑営業所。
黒川所長以下総員10名足らずのメンバーのうち、神戸商大の先輩方が西沢・岸田の2名もおられた。
 たしか前年の40年には同じ姫路市にある製鉄業の山陽特殊製鋼が倒産という大事件が起こり、入江商店もかなりな債権焦げ付きを出していたが、社員全員の頑張りで会社存立をなんとか保ち一息ついた直後でありました。
 営業所は明石から山陽電車で飾磨乗換の広畑と約1時間余りにあったので自宅通勤となった。出社そうそうまたも製鉄所構内を西沢係長に案内されて見学する。延延と続く構内道路の向こうに陽炎が揺らめくほどの広い工場。出入りの門だけでも正門・中門・東門とあり、夢前川べりには冷延工場が独立している。もちろん24時間操業であり、重厚長大の象徴のような代物。しかしそこには基幹産業として日本の土台を支えているという自負に満ちた人々の顔があった。
 そんな広大無比な工場内をオンボロスクーターに乗って、製鉄原料以外の資材・消耗品の二ーズを嗅ぎまわり、大きなプロジェクトが有ればなんとか代理を賜っているメーカーを押し込もうと情報をとりまくる。
そうなるのに約1年、まったく知識の無いものが、パイプの径は2Bといわれても首を傾げる状態から、うっすらと鉄の製造工程のあらましを理解するようになるんだから、我ながら驚きです。
 そんなころ、本社から転勤赴任されたのがやはり神戸商大G9の好漢・河井雄輔課長。
きょうは、定年退職後起業されて泉大津・臨港町に居られることを聞きつけて、急遽訪問することとなった。
一枚頂いた写真をUPしようとデジカメからSDカードを取り出すつもりが、変なtころを操作して、せっかくの画像を飛ばしちゃいました。・・これはもう一度会いに行けとのことなのか。こんなドジをしたのは初めてです。