山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

クラブ ボサリオ オープン

入江商店を長男の誕生と同時に辞め、てんぷらマルイチの営業に専従することにした。j辞職の挨拶に本社に行くと、安達総務課長がお別れにごちそうするからないが良い、好きなものをとの有難い申し出がありました。
気持は前4回のてんぷら繁盛記に見るごとく既に天ぷら屋に関心はうつっております。
ここ堂島には、カウンター天ぷらの名店・一宝があることも聞きこんでおります。すかさず、一宝がよろしいようでとお願いして、コース2万は下らない、おまかせを堪能する。職人さんの手元を食い入るように眺めた。
粉の溶きかたから、ネタの衣つけまで、眩しいばかりの手際良さ。もう声も出ない。やはり一流と言われるお店は違いました。お客のテンポに合わせて、てんぷらが次々供され、いくらでもお腹に入る。油はなにお使っているんだろう。白絞油にゴマ油も少しはかましている香りがする。メモを取るわけにもいかず、全てを目に焼き付けた。かたわらの安達課長も私のあまりの熱心さに苦笑しておられた。これじゃあ入江に居るわけもないと思われたに違いない。その席で、入江商店への感想を問われて、ゴチになった手前、2・3申し上げたことを覚えている。この感想は意外と当たっていて、平成15年5月だったか、メインのりそな銀行に引導を渡されて入江商店が遂に倒産した際に、その原因とされたこととピタリと符合しておりましたとさ。
このてんぷらマルイチでは昭和55年(1980年)まで、板前修業に精出しておりました。その間11年、身体からてんぷら油の匂いを染み込ませながらの毎日。
一方、永田親分は次に駅前・新納ビルの建築に取り掛かり、子分連中にそれぞれの階での業種まで指定する。もうメチャクチャ、ゴリオシ。しかしこの無理は断るわけにはいきません。そして今回は「津野君、2階でクラブをやってみろ。」との御託宣だ。あのオネーチャン・ホステスを侍らすクラブですがな。