山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

YAMASAKI天狗寄稿・夢龍馬は生きていた

 神戸の高齢土佐人を自称するYAMASAKI天狗様から仮説・龍馬は生きていたの寄稿がありました。
龍馬フアンの皆様も納得の検証を一読されたし。

 

一般的には龍馬は19671115日京都近江屋で京都見回組佐々木唯三郎に殺害されたことになっているが、実は、龍馬は死なずにその後、発生した諸々の重大政策・事件に係っていた。龍馬さんから直接、又は関係者から聞き取れてないが、その一部に触れてみよう。

 

1867年 大政奉還  内紛を防ぎ、諸外国の介入をさせずに11月平和裏に政権移譲 新政府構想を建白、参議に推薦されるが、そのような堅苦しい者にはならんぜと断る。

   勝海舟 ジョン万次郎より教唆され自由国家構想アメリカの大統領構想を提出する、が時期尚早となる。他閣僚は龍馬の構想には、頭が回らず着いていけなかった。

   没後150年を経るが、大統領構想は日本では未だ熟さず。

1868年 五ヶ条の御誓文が公布される。ご存知の如く龍馬案が根底にあった。

戊辰戦争は、食い止めることができなかったが、土佐出身の官軍幹部には、日本

人同士の殺生は控えよと厳命していた。

1869年 版籍奉還  諸大名から天皇に領地領民を返還させる統一国家形成構想は既に龍

馬が企てており四藩主もそれを率先し実行した。

    龍馬は亀山社中を世界の貿易会社に発展させたいと願い貿易業を見事に活かし、1886年武器購入・調達により薩長同盟を図った。一方、土佐藩を利用した岩崎弥太郎1869年、九十九商会(後の三菱商会)を設立し海運業を行い、龍馬と日本の海運業の基礎を作り上げた。

1871年 廃藩置県 藩とかちっぽけなことは言うなよ。

1873年 徴兵制の布告 征韓論おこる

龍馬は富国強兵論者であった。貿易で国に富を、富を活用し国力拡充 海外進出。

1877年 西南戦争を批判  西郷と大久保の対立を非難 なぜ権力闘争をするがかや

1881年 板垣退助が龍馬に師事し、高知に立志社自由党を結成 自由は土佐の山間より

1894年 日清戦争勃発  朝鮮半島をめぐり近代国家を目指す日本と清国との全面戦争

1904年 朝鮮と満州をめぐる日露戦争

    海軍の祖として、世界の海を自由に航海し海域を把握しており、秋山真之と共同作戦を練り、バルチック艦隊の撃沈案を計画。昭憲皇太后の夢の中に白袴姿でなく海軍服姿の龍馬が登場したと言われる。

幕末から明治と言う統一国家を形成すべき時期を75歳まで生きた龍馬。33歳以降は直接表に出ることはなく、常に日本の名参謀として近代国家建設に知力と人脈、情報網を駆使しその生命を全うされ、ふるさと、高知より天に召された龍馬さん。

ふるさと、土佐の偉大な先輩を誇りに思います。

高知出身の龍馬さんを誇りに思う高齢者より。仮説 龍馬さんは生きていた