山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

世界第0次大戦・極東に回帰

世界的因果関係による大戦争を世界大戦と云うならば、日露戦争は第0次世界大戦と位置付けるべきではなかろうか。
極東の小国日本がロシア帝国の南下、不凍軍港獲得の野望を押しとどめた局地戦のように考えられがちだが、ロシアが南を目指したその理由は、ヨーロッパにおけるロシア・フランス・ドイツの力関係にあった。ドイツ皇帝ウイルヘルムⅡ世は直々に筆を取り、ロシア皇帝にフランスの圧迫はドイツがけん制するから満州経営に抗する日本を心おきなく攻め取れとそそのかしている。
この時期イギリスと日本の同盟は日本国民からすれば僥倖のように取られがちだが、原因はヨーロッパ帝国主義列国の覇権争いにおける東洋での、ほんの一手に外ならない。イギリスは新興国日本の海軍力を味方につけたかったと云う事だ。それ故主に戦艦造船のための戦争債調達には国を挙げて協力している。
日露戦争の前半の山場は旅順港に逃げ込んだロシア極東艦隊の殲滅にあって、そのための砲撃陣地としての203高地攻略にどれ程の血を流したことか。それほどの犠牲を払う事が許された国情であったことが幸いした。
余談ながら、米国は唯一国内での南北戦争で60余万の戦死者を出したが、それ以後の戦争、勿論最大の第2次世界戦争・朝鮮戦争ベトナム戦争など全ての戦争での犠牲者累計はまだその数字に達していない。ことほど米国は自国民の流血を嫌う。
その米国の庇護の下、米国が日本人の為に米国民の血を流して護ってくれると思い込んで、お気楽に国内の政治屋連の勢力争いに明け暮れている間に、海上・陸上・航空自衛隊は既に確りと米国極東戦略の一環にがっちりと組み込まれ、おそらく有事の際は自国・日本国民を助ける暇など有ったもんじゃあないのではありませんか。
日露戦争終結ポーツマス条約締結の立役者小村寿太郎は国民から散々に非難され続けたが、今振り返れば、条件内容はともかく、あの時点での停戦条約締結は日本が交戦態勢を保持できるギリギリのタイミングだった。一方下って、日独伊の三国同盟に乗り遅れるなとばかりに国際連盟を大見えを切って脱退した松岡洋右外相を挙って凱旋将軍を迎えるかのように歓呼の声で迎えた国民は、第二次世界大戦の奈落の底に突き落とされることになる。
今焦眉の危機を迎えている朝鮮半島問題も、遡れば日露戦争開戦の重要な要因である朝鮮半島領有という日本帝国主義が産み落としたものと云える。
伊藤博文の朝鮮経営の無謀がブーメランのようにその対価の清算を迫るかのように日本を襲って来ていると考えるがどうだろう。