山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

龍馬最後の5日間・その思う事②

いまだ徳川家が保持する通貨発行権の怖さを、この時期一番理解していた人物が龍馬であり三岡八郎だった。三岡は通貨を発行して政府を運営する事に日本で一番詳しい人で、この人に聞けば、通貨政策をどのように確立すればよいかが分かる。その事を鋭く見抜いていた龍馬は福井まで勇躍会いに行った。
此の時の会談記録は『由利実記』や『由利公正談話』として残されている。この当時、三岡は幽閉中の身で、監視役の目付が二人同席しての会談だった。
会談が始まると三岡が早速「戦争の用意はしたか」と龍馬に聞く。幽閉中の三岡が一番知りたかったのはまさにその事です。
すると龍馬は、目付が二人いるので「いや、戦争にはならないようにした方が良いと思う」と答える。この状況ではそうとしか答えられない。
この辺りの龍馬の具体的な考え方は史料には残っていないが、陸の戦いで新政府軍が一度勝利しても、江戸を攻め落とすのには、大変な戦が待っている。
しかも、幕府海軍は長州征伐の時とは比べ物にならない程に増強されている。
幕府は莫大な資金を使って開国から数年で、日本最強の海軍を造り上げつつあったのです。自らも軍艦を率いる龍馬には、そのことが手に取る様に分かる。実際は慶喜の戦意喪失で、旧幕府海軍は大海戦をやらなかったのですが、その気になれば、勝敗の行くえはどう転んでいたものか。
朝廷は10万石程度の領地で心細い資金量。一方、日本の石数3千万の内800万石を幕府が握っている。龍馬は通貨発行権を握って強大な朝廷軍を作れるまでは幕府と戦の先端を開けないと考えていたのではないかな。
これが殺される直前の龍馬の頭の中を占めていた最大の課題でした。
ところで、この観点から今後の政情の行方を考えていた人物がこの二人の他にいただろうか。