山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

203高地の真実①旅順港鉄くずの山

203高地の激戦で知られる乃木希典大将率いる陸軍第3軍を巡りどうも今まで思い込んでいた話と違うのではないかと思いだした。
司馬遼太郎描くところの「坂の上の雲」での乃木は旅順要塞攻撃特に203高地攻防ではいたずらに突撃を繰り返し夥しい犠牲を強いた愚将とされている。
このイメージは驚くほど定着していて、日露戦争と言えばバルチック艦隊を破った日本海海戦東郷平八郎元帥ばかりがクローズアップされている。
が実は、この壮挙が為されるための絶対必要十分条件としてこの第3軍による旅順要塞攻撃と、遣らずもがなの203高地攻防が有ったのです。

戦史を参考とする上で、日露戦争史は偏って、あるいは将軍将星に気を配って書かれているとの指摘がある。
海軍の三度にわたる旅順口閉塞作戦が失敗に終わると、陸からの旅順艦隊攻撃が必要となった。ここで旅順艦隊を殲滅しておかないと、この戦場海域を目指して出発したバルチック艦隊との決戦に臨むことすらかなわない。
かくして、陸軍に旅順要塞攻略の大命が下りる。しかし今に続くこの国の癖と言おうか、宿命なのか敵ロシアがこの旅順をどれ程の要塞に作り替えていたのか、正確な情報を全く持っていなかった。
乃木第3軍に知らされていた要塞配備図を前にしてその堅固さに乃木は「うーんこれは・・・」と絶句したと伝えられている。しかし、なんとその配備図でさえ、その時点では古いものとなっており、ロシアは永久要塞の名のもとに、悠々3年は持ちこたえると豪語していた。実際の旅順要塞は、この時の乃木の認識(すなわち陸軍参謀本部の認識)から、想像もつかないほどの大要塞へと変貌を遂げていた。