山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

メモリアルジャーニー①

高知から文旦が届いた。須崎の従兄妹と高知の叔母からだ。さっそく親父にお供えしお礼の電話を入れた。
すると叔母はこの4月で95歳になるが、文旦を贈れるのも今年限りよと気の弱いことを言いゆう。
今朝、三男からメールがあり、今日明日とイベントの仕事で高知にいるらしい。時間があれば叔母の顔を見てきてと返信したが仕事ならそんな暇があるわけないか。
もう何年になるだろう。親父を知る9人兄妹の最後の一人となった叔母を誘って黒潮本陣と菩提寺・元亨院での法要に行った旅行をメモリアルジャーニーとしてまとめた文を再掲する。

【2003年のメモに、これほど気楽なお盆は仕事を始めるようになってから初めてのこととあった。
確かに、入江商店の自己破産に身につまされながらも、俺は何とかやってるぜという気分もあった。
そのまま入江にいたところで、この事態を迎えることになっていたに違いないとすれば、まだ自己責任の今の方が結果に納得出来たんじゃないのかな。
そんな頃、思い出すのは親父の9人兄妹の末っ子の叔母の存在だった。親父と3歳違いのS叔母はそのころ高知市内で一人暮らし。年ももう86歳になっている。身体は頑強でピンシャンしているが、なにしろ親父の兄妹のただ一人の生き残り。
よくよく考えなくても、今のうちに昔話を聞いて書きとめておかないと、後で悔やむことになると考え始めると、もう矢も楯もたまらなくなった。
ちょうど、そんなとき、堺の高知県人会総会に招かれた席で、座興の抽選会で高知往復のフェリー乗船招待券があたった。常日頃、くじ引きに当たったことなどない人なのに。
これ幸いと、妹を誘って弘子ちゃんと3人が、高知の叔母を誘い、親父の昔話を聞き出す、メモリアル・ジャーニーにでかけることとなった。この旅行の報告を高知県人土陽会の年1回発行の会報に3回にわたって連載した。
以下はその際の記事を改めてアップする。】
桂浜にて