山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

神戸高知県人土陽会小史・自分に表彰状

このホームページの本体・神戸高知県人土陽会は「大正から昭和初期のころ、郷土出身の先輩、弁護士浜宇津淳一郎先生が、神戸市会議員、兵庫県会議員、衆議院議員(原と改名)出馬時に当たり後援兼親睦団体として、高知県人同志会が結成されていて、不肖私も秘書山本弘亮氏の呼びかけで大正14年頃から入会。その後昭和5年頃、原 淳一郎弁護士、山地四郎神戸市会議員、浜宇津英一市教育委員各位の発起で、当時の鈴木商店関連会社を中心に高知県出身の役付き有志で、土陽会を結成。郷土を語り親睦を深め、郷土意識の高揚に寄与した。」(土陽会理事・豊永栄福)会であります。一方私といえば、「隠居したら土佐・新庄の山に帰って近所の若者を集めてワイワイやる。」が口癖だった親父・清志への純粋に親孝行のため昭和54年。前年に開店していた鍋ガーデン・よさこいマル一を会場に『東播土佐人会』(会員60名)を立ち上げ第一回総会を開催している。その県人会立ち上げの際、土陽会の会員だった岡田四郎伯父の紹介で公文適土陽会会長・豊永栄福理事に県人会の会則つくりからご指導頂いた経緯があります。このご縁で昭和55年11月16日開催された神戸高知県人土陽会50周年記念総会に親父が東播土佐人会の会長として招待され嬉々として参会したもんです。そんな関連で並立していた東播土佐人会も、昭和60年5月26日の土陽会55周年総会を機に、前年惜しくも亡くなられた公文適会長の後をご子息・公文康先生が継承されると同時に同会に吸収合併することになりました。この総会から会場はよさこいマル一となり、当時我が明石駅前マル一グループの売り物でありました、ビデオ・カラオケの司会を仰せつかったのが事のはじまりです。以降、総会のアトラクションの部のカラオケ司会から始まって、大福引会ETC。終いにはアトラクションの部の司会は何故か津野の仕事となり、その後神戸に会場が変更になってからも、当分の間、毎回自前のカラオケセットを持ち込んでセッセとご奉仕いたしておりました。途中、私の事業不調の煽りで一・二回抜けた回があるかもしれませんが、去年までの正味22年間アトラクションの部の間、もっぱら司会・進行にこれ勤め、お料理をまともに口にしたことなど一度たりともありません。その私が去年初めて閉会時刻を30分もはやめてしまうという失敗をやらかしたのです。かようにボケてくれば、自分から司会のお役御免を申し出なければと考えておりましたところ、今回の理事会で総会予定プログラムを拝見いたしますに、申し出る必要も無く、交代者の名前が記されており、女房ともども目を見合わせたところです。しかし考えてみると頼まれもしないのによくよくの22年。有る意味馬鹿としか例えようがないのではないかえ。そこで、せめて自分自身に『よく続けてくれました表彰状』を贈ることにいたします。