山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

てんぷらマル一と旧ボサリオ閉店

連続に開店を重ねる一方で、陳腐化した、あるいは手が回らなくなったお店は、閉店しなければなりません。
私が最初に任されたてんぷらマル一とクラブとして開店した旧ボサリオの閉店撤退は、結果対照てきなものとなった。
てんぷらマル一は明石の中心である、駅前交差点の北西角の2階に位置して、なんの商売も利くような目につくところにありました。そこで一計を案じ、そのころボツボツ流行りだしていたサラリーマン金融に目をつけて、白菊グランドビルの7階にあったサラ金・レイクにアプローチ。場所をもっと目について、便利な所に変わらないかと持ちかけた。幸い、支店長も場所の悪さもあって、お店の業績も捗々しくなかったことから、この話に飛びついて本社に言ってみるということになった。
そのころのサラ金といえば、今と違ってかなり胡散臭い存在で、大手といえども、まかり間違えばヤクザ屋さん相手よりも手ごわい存在でした。
一日、レイクの本社に行ってくれとのことで、忘れもしない大阪の本社とやらに出かけて行きました。
確か、黒っぽい煉瓦に包まれた自社ビルの重役室。担当の重役との面談で、条件交渉をすることに。
当方、内装その他、居抜きで600万と提示したことを覚えている。
話はあっけなく進んで、その条件で賃貸契約を継続できるよう家主の了承を取ってこいとなった。
実は、レイクとの交渉よりも、藤田ビルの了承を取り付ける方が苦労そのもの。
出てゆくなら、あとのテナントの世話までして貰わなくても結構ですとビル側。もっともなことながら、それでは
内装その他、現状に戻して帰らねばならない。600万どころか、工事代まで追加で必要となる。
そこは、ゴッドファーザー永田の一声でこお藤田ビルのテナントが決まった経緯を説明して、参拝九拝、土下座までして、なんとか了承を取り付けた。
その後、このビルは、レイクを初めとして、全階にサラ金が入り、見事なサラ金ビルとなりました。
一方、まだ山陽電車の高架以前の新納ビルは、後継のテナントを歯医者がいいと考えて、歯医者さんも見つけていたが、オーナーがそんな都合のいいことは認めない。結局現状復帰して返還することとなった。
このビルがいまや明石駅前の正面となり、2階には歯医者さんが営業しております。