山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

木更津・桜井を訪れる・我々ファミリーの原点

 平成11年のお正月は、思い切ってさんよう店を休み川崎の長男宅へ出かけた。
この年、長男の嫁さんが作ったお節を初めて頂くことに。
三男も駆けつけてくれて、大変な状況ながらひと時心の安らぎを得る。
ちょうど木更津ー川崎を結ぶアクアラインが完成・開通した直後だったと思う。
正月2日5人で通り初め。海蛍で東京湾のど真ん中の雄大な光景を堪能した。実に爽快なり。
1968(昭和43年)ころ、木更津の出張所から大阪への出張はフェリーでこの湾を渡るのが一番の近道。
長男を亡した時、親父が駆けつけてきたのも、羽田から川崎・フェリーだった。
君津の町は腰を抜かすほど変わっていて、どこにもその面影はありません。水道管ようの異形管を君津駅貨物ヤードに引き取りに行った際の草茫々の風景は今も忘れることがない。
木更津駅前の唯一のレストラン・オランダ屋も見つからない。
ただ驚いたことに、新居ように新築で借りた桜井のバンガローのような一軒家数軒が残っていました。
当時はすぐ目の前に波打ち際が迫り、スコップで一掬いすれば、驚くほどのあさりが獲れた浜は立派な宅地に
先の先まで埋め立てられておりました。
ともかく、ここが我々の出発点・原点だと説明してしばし佇む。なんと32年ぶり。
振り出しに戻ったなと弘子ちゃんと感慨に浸った。
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