山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

慶喜もびっくり・庶民宰相の進退

まあ何だろう。市川女史の市民運動参加から始まった菅直人は上り詰めた宰相の高みから日本国中を見渡して何を考えているんだろう。
辞めろ辞めろの大合唱が裾野の方で聞こえては来るが、側近連中の甘言は『まだまだこれからでっせ』。その言葉に敢えて載って延命を図る。
首相不信任のドタバタ劇を見るにつけても鳩ポッポの鳩害が助け舟となって、まあ考えられないような話しの括りがこの政局を迷走に導いている。
振り返れば、徳川幕府最後の将軍・徳川慶喜大政奉還を申し出た際の身の処し方との落差を痛感せざるを得ない。
腰砕けの、卑怯者のと誹られた慶喜は一旦身を引くと宣した以後は恭順を一としてひたすら過ごした。
一方、菅は言質を与え無かったことを奇貨として状況としては大政奉還ながら、一向に身を引く気配を示さない。
周りは呆れかえって腰を抜かしている。出てくるのは誹謗中傷ばかり。いままでこれ程ボロカスに言われた宰相もかってなかった。
ことは人間の資質に関わっているんではないだろうか。
少なくとも慶喜は侍。菅は庶人。
だが、皮肉なことには、この両人が結果もたらした災厄(戊辰戦争による北関東・奥州列藩の悲惨と東日本大震災福島原発に対する菅災)を蒙ったのが東日本・東北の人々だったことだ。