山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

2008-07-01から1ヶ月間の記事一覧

『さんよう喫茶』⑥西新町スキャンダル

『さんよう喫茶』の項は2008・4・25の⑤から2ヶ月以上のご無沙汰でした。東京から追い返された親父が四兄・岡田四郎を頼って明石に身を寄せたのは、昭和10年三縄ー豊永間が開業して旧高知線区間が多度津側と一続きになって、須崎ー多度津間を土讃線とさ…

神戸商大応援団吹奏楽部の不思議③体育会系ミュージシャン

応援団吹奏楽部のデビユーはなんとかかんとか飾ることができました。私も3回生の頃はまだ余裕があったわけです。しかし、商大祭も終わり、サッカー秋季リーグも終わり、主将のバトンを引き継いだトタン、体中をあの警戒警報が鳴り渡り、響きだし始めた。脅迫感…

神戸商科大学応援団の不思議②附中生とカネカ化学

吹奏楽部を最初から設立しようとの計画があったのか、無かったのか、北林に聞いて確かめないと。北林が最初からマンドリンから無理やり引き抜かれて参加していたことを考えると、できれば吹奏楽部とはいかないまでも、勇壮なブラスバンドぐらいは、儀杖に必…

神戸商科大学応援団吹奏楽部の不思議①7人のサムライ

今まで書き綴り、書きなぐってきた文を再読すると、まるでサッカーしかやっていないような印象を与えかねない。しかし、実際は勉学に励み、読書に勤しみ、デートも欠かさず、ラッパもずっと吹いておりました。昭和37年の秋ごろか、同期の2回生の中の元気者7…

サッカー命の日々⑱球際が肝心

さても不思議なことに、たった4年の間走り回ったに過ぎない淡水サッカー倶楽部の総会ともなると、齢60余歳にして、未だいそいそと出かけて行く。これは一体なんなんだろうと考える。いまさら、球を蹴るわけでもなく、ましてや100メートルも走れないに違いな…

サッカー命の日々⑰80周年に向けて

平成9年の総会にて現吉田進会長にバトンタッチというより、タスキを放り投げてから、はや満12年を迎えようとしています。オムロンの執行役員であられた吉田会長は、東京勤務にも拘わらず、リーグ戦ともなると、春・秋とも週末京都本社に用事を作り、必ず観戦…

サッカー命の日々⑯名監督は名会長なり・吉田進

自営業の宿命は、景気の変動に左右されることでしょう。満5年間自分なりの原理原則を守って淡水サッカー会長を辛うじて務め、現行の総会形式も定着して来た頃。ちょうど平成7年の阪神大震災の復興景気も一段落をむかえると、明石駅前での我が生業も陰りを見…