山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

無錫・上海紀行

上海展望②

最終報告・上海摩天楼ー濱江公園・外灘と浦東区眺望①

今回でやっとのこと、無錫・上海紀行の最終報告となった。 といっても上海では空港に行く途中、濱江公園に立ち寄り現在中国発展のシンボル地区の偉容を見せつけられるだけに終わったが。 七宝古鎮からのハイウエー。上海市内に入ってからの林立するビル群。…

七宝古鎮②

七宝古鎮①

運河・水郷の名残を今に伝える七宝古鎮は今回唯一昔の中国の下町の猥雑さを感じさせる。細い路地の両側には土産物屋食いもの屋が蝟集し、客を呼び込む。 夏物バーゲンの真っ最中で1.5折との表示は定価の85%オフだとか。かなり過激な商戦が繰広げられて…

夜の無錫

日航ホテルの部屋の窓から通りが見えて、そこが夜ともなると無錫の若者のたまりとなる。 用心の報は比較的穏やかで心配は無いらしい。その昔香港のアヘン窟を期待していた私としては少々物足りなかった。 そぞろ歩く女性たちも好々とはいかずどこかベトナム…

保利広場・家来福カルフール等見学とショッピング

昨日明石中学校吹奏団が無錫市民に演奏を披露したのがこの保利広場。広場といっても要はショッピングモール。 カルフールがメインで種々なお店が洗練された店構えで連なっている。 あるお店で弘子ちゃんのアクセサリーを買おうとなって小さな翡翠細工のペン…

科挙の物凄さ

中国における科挙の存在は、下層の民が這い上がる唯一のチャンスとして数千年にわたって連綿と続けられてきた。何しろ科挙にトップで受かれば皇帝の息女を嫁にもらえる資格が与えられる。 この東林書院からも永い歴史の中、受かった人々の名前が東屋の変額に…

東林書院・科挙の物凄さ① 8月29日

] 東林書院とは・引用 南宋の初期の儒学者である楊時が江蘇無錫(江蘇省無錫市)に18年間逗留し、程邕・程頤の学問を講じるために設けたのが東林書院の起源である。その後この学校は廃止された。 明代の万暦年間に皇帝の意に逆らい更迭された顧憲成が故郷の…

無錫市の老朋友との交流夕食会・金海華にて

その夕方、金海華という巨大中華飯店で老朋友との交流夕食会が催され、またも乾杯、乾杯の嵐となった。 会場の金海華は市内最大の料理屋で、一階のメインホールは着席1500人収容とか。ビックリ仰天。

恵山古鎮散策

累代の先祖を祠る廟の集落と言える恵山古鎮は、また江南水郷の情緒を残す。有名な泥人形の博物館も完成し、人形の工房も見学できた。

精進料理と好々姑娘来々

開原寺隣接の精進料理店に招かれた。日本の普茶料理の源流だ、すべて野菜の精進料理。確かに鰻や豚肉まがいの料理だどんどん出てきたが、それよりも日本では考えられない若い娘さんたちが甲斐甲斐しくお給仕をしてくれる。 正にハオハオクーニャンライライ。

開原寺寸描

支那の情緒漂う開原寺を寸描する。

開原寺の梵鐘は明石・月照寺と同じ

開原寺では能超法師の歓迎を受けた。この寺には明石市友好協会(谷弘之助会長)から友好の梵鐘が贈られており、その梵鐘は同じ禅宗の月照寺の梵鐘と同じくするものであったとか。 据え付けそのほか、明石土建より技師が出向いての一大事業だ。その頃はまだま…

錫恵公園の

開原寺へ行くには錫恵公園を通り抜けるのが近道。途中、中国のお盆の飾りつけを眺めながら。

無錫・太湖遊覧

(WIKI引用) 『太湖の景観は、北部の無錫周辺が最も美しいといわれる。最も有名な観光地は、無錫市街の西の太湖に突き出た半島にある鼈頭渚公園であろう。太湖とその一部である蠡湖の間にそびえる充山は、西端で半島を形成しており六朝時代から庭園が整えら…

中国の干支?

橋の欄干にあった干支らしい石像。日本とはチト違った。

中国コンビニ風景

コンビニで水を買った。2元

夜の無錫・南禅寺散策

南禅寺と言いながら、専ら若者たちが夜になれば主役の街だ。

先に集合写真特集掲載

何故か弘子ちゃんがどれも旗を持ってど真ん中。

無錫点描・無錫の町を空からと一番の繁華街

全員集合

祝 桑原・阪本両先生還暦の快挙

25年前、桑原・阪本両先生は現地での手配など、雑務を一手に引き受け裏方としてご苦労をされた。 今回は坂本先生は団長として、桑原先生はトランペット協奏曲のソリストとして無事大役を果たされました。音楽教師冥利に尽きるとはこのことか。還暦退職された…

もう一つの目的・明石市立中学生選抜吹奏団30周年記念演奏会

明石・無錫の姉妹都市30周年記念を期に、25年前故山手照夫先生を団長として成功を収めた市内中学生選抜吹奏団を再び結成、訪中するという計画は、今年の初め、29回アンサンブルコンテストの会場で、藤岡・阪本両先生から耳打ちされていた。 その後、一番の難…

大の悲劇・中国トイレット事情

街には電動自転車が渦巻き、自転車だから免許もいらず電動だから音もしない。交通規則等有ったもんじゃありません。水の流れのようにバスの前方をよぎって行く。 その街での散策が最大の楽しみだが、行く前から懸念していた中国のトイレ事情が次第に解って来…

635年ぶりのこと・絶海中津を偲ぶ

今回いちびって我が人生で初めて中国大陸に足を踏み入れることになった動機はと問われて苦し紛れにその一つに挙げたのが、635年ぶりというキ―ワ―ドです。 南北朝時代から室町時代前期にかけての禅僧である絶海中津(ぜっかいちゅうしん)。建武元年(13…