山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

冬の兵士とは

 日本の戦争終結は遂に陸軍及び海軍からの執拗な本土決戦・一億玉砕の声を掻い潜って、天皇陛下玉音放送による終結宣言・ポツダム宣言受諾によりやっともたらされた。
厚木飛行場にコーンパイプを銜えながら降り立ったマッカーサー将軍。そのマッカーサーが早々に設置した駐留軍総司令部・GHQ(GENERAL  HEAD QUARTOR)により、日本はたちまち武装解除され米国流民主主義の色に染め変えられていった。
子供心に、ジープをぶっ飛ばす米兵にギブ ミー チョコレートと強請った覚えはないけれど、米軍用貨車が延々
踏切を通過して、遮断機が揚がる暇もなかったこよは覚えている。
特攻崩れの従兄が体一つで転がり込んできたのも終戦まもなくのこと。
そんな戦後の混乱も、闇市も、15年経った昭和35年、そう僕が一浪に突入したころには、もう誰もあの戦争を口にするものも、関心を示すものさえ少なくなっていた。終戦記念日前後、今のように掘り下げた終戦特集番組があったわけでもない。もちろん戦争原因と反省などに及ぶことも避けられていたのでは。
あっという間に、戦後ヒエラルキーが形成され、旧財閥が復活した。まるで戦争など無かったかのように。

一方、米国はというと、特にベトナム戦争中・後反戦厭戦の動きは絶えずあって、最近では、2008年3月13日から4日間、メリーランド州シルバースプリング市の大学を会場にして行われたイラクとアフガ二スタンからの帰還兵たちによる公聴会「冬の兵士」(WINTER SOLDUER)が開けれている。
この公聴会に出席した勇気ある証言者たちが、いくら上官の命令とは言えども、何の罪もない人たちを殺してしまったことや、お年寄りや子供や女性までも殺してしまったことを証言し、米国の戦争犯罪を告発している。