山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

龍馬最後の言葉「中岡兄如何」・樋口眞吉

あれ程龍馬さんとの密接な関係があるのに龍馬伝ではとんと取り上げられなかった人物の一人が樋口眞吉だ。樋口は大石新影流の剣豪として知られ長剣を用い、これが土佐に広まった。龍馬暗殺の当時は下級役人・徒目付として他藩の動きを内偵。
暗殺現場にもいち早く駆けつけ、事件処理捜査にあたった。その際の覚書として日記「日新録」を書き残している。
彼はまた、龍馬さんとは20歳程の歳の差ながら、親交を深め、龍馬の脱藩を「坂龍飛謄」といみじくも言い現わしたことで知られる。
その彼が、11月15日、京都近江屋で龍馬が暗殺された時の模様は、龍馬を才谷梅太郎、中岡を横山勘蔵と言い現わし、「四つ(午後10時)頃、龍馬の身の回りの世話をしていた藤吉が持ってきた「度津川人(十津川村の人)ノ手紙」を、2人が灯火に照らし読んでいたいた時、突然「賊2人」が切りつけてきたと記す。
この時、中岡は「刀ヲ次ノ席ニ置タレバ短刀ヲ抜テコレヲ請ケル・・・」と、刀を隣室に置いていたので短刀で応戦したが、頭を切られ、賊の足に組付いたところを刺された記述。
この中岡が刀を隣室に置いていたとの事実は樋口のみが書き残したこと。
そして龍馬が最後に発した言葉が「中岡兄如何」であったと書いている。
これは瀕死の中岡を気遣って、自身も致命傷を負いながらも「中岡よ、お前さんは大丈夫か」と呼びかけた龍馬の最期を活写している。
それにしても、この現場に立ち会い、龍馬の最期を冷静な眼で確りと書き記したこの樋口眞吉の心情がどんなに辛いものであったか。想像を絶する凄まじさであったろうに。