山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

西郷隆盛の遺言①

かの西南戦争薩軍の死傷者が15000人。政府軍の死傷者が16000人。
国中を巻き込んで熊本城攻防に始まり城山での西郷自刃にいたる大騒動の果て、鹿児島のよかにせどんが死に絶えたと言われた両軍計26000人を一瞬にして上回る犠牲者を出したこの大震災。
皮肉にも、時の宰相大久保利通が石川県士族6人に惨殺される直前、日本国として最初に内国債を起債した目的が福島県の開発、地方物産の保護と改良、道路整備だった。猪苗代湖水の流通、安積郡対面原の開拓がそれである。
券面金額百円につき八十円、総額千二百五十万円。利息年六分、元金返済は明治十三年から二十三年よいう条件だつた。その布告が遭難二週間前の四月三十日だった。