山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

G21回武山照夫主将回顧


学部21回 武山照夫

3回生の3部リーグ戦を優勝し、2部昇格を賭けた靭公園での大阪市大との入れ替え戦。水野キャプテンの右からの絶好のセンタリングに体から飛び込んだ決勝の1点。しかし歓喜もその晩だけで翌日からは「来年すぐに3部へ落としたら丸坊主どころでは済まない。」
と、翌年4回生になる仲間と思い悩みました。

キャプテンの任命を受け、シーズン前の冬休みには当時の吉田監督に同期全員をご自宅に招いて頂き、KJ法やPDSを教えて頂きながら、神戸商大サッカーの方向性などご指導を頂きました。KJ法は会社へ入ればよく使う手法ですが、学生にとっては新鮮で早速クラブに持ち帰り、部員全員で自分達のサッカーをどうするか大いに議論をしたものです。

「力のサッカー」を掲げました。技量でも体格にも劣る我々が、テクニックや戦法に溺れて激しいプレーを忘れることを恐れたのです。日々の練習では基本的な技術や戦術を身に付けることに時間を割きました。バーベルで体幹を鍛える、よく弾むゴムボールを使ったボールコントロール、そしてパスアンドゴー、マーク3原則など基礎トレーニングを反復しました。部員にはさぞかし退屈な練習だったろうと思います。

進め方が正しいか、次に何をすべきか。毎日の練習後や練習試合の後には4回生でPDSに沿ってミーティグを行ないました。しかし慢性的な部員不足、ケガ人も多く、今でも部員が集まらず思うように練習出来なくて焦っている夢を見ます。

こうして不安を抱えながらも勇んでリーグ戦に臨みました。初戦の立命館大を落とし、2戦の京大に破れたものの、3戦の甲南大に勝って一息つきました。スコアやその後の成績はよく覚えていませんが、結果は部員全員の必死の頑張りでなんとか5位で終えることが出来ました。それぞれのゲームの記録は同期生に聞いても殆ど覚えていません。あれだけサッカーに打ち込んだのに、その結果の記憶がないのは、ホッとして忘れてしまったのでしょうか。

苦しかったけれども楽しかった大学サッカー時代。良き先輩、友人、後輩に恵まれたことに深く感謝します。ここに同期の皆さんのコメントを記します。

中井さん − 4年間無我夢中で過ごした高丸。1回生で4部に落ち3回生で2部復帰と辛酸・歓喜の体験。これが現在少年サッカーの指導者を続ける私のサッカー人生の原点です。コーチは楽しいです。美人のお母さんも見学に来ているからね。
有門さん − マネージャー兼任でした。社会に出てこれが仕事にも遊びにも大いに役立ちました。無事?会社人生を終えて、産業支援に携わっているのも、そのときの人との出会いの醍醐味が、味わいたいからです。
小笠原さん− 忘れもしない1回生の対岡山大学新人戦。股間を蹴られ〇〇を1個切除しました。お陰でサッカーよりそれで有名になりました。でも子宝2人に恵まれ幸せです。
松村さん − ボールコントロールは自信がありましたが、長距離走は苦手で人より長い時間かかりました。ついでに風呂も長風呂で皆さんにご迷惑を掛けました。
高林さん − ボクは途中で退部しましたが、渡部ゼミでよく勉強しご恩返ししました。
  
 1970年(昭和45年)リ−グ
   本学 1−2 立命
      1−4 京 大
      2−1 大工大
      3−0 甲南大
      0−2 大府大
      2−1 京工繊
      1−3 天理大
    3勝4敗 2部5位(2部1ブロック時代)