山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

平成龍馬百話

日露戦争ー経済戦争・高橋是清③

是清が晩餐会に招待されたた席の隣にヤコブ・シフという人物が座った。食事中シフ氏はしきりに日本の経済状態、生産状態、開戦後の人民の士気等について細かく質問した。是清も懸命にそれに答える。その翌日、バーズ銀行のシャンドが訪ねてきて「シフ氏が、…

日露戦争・高橋是清ー経済戦争②

高橋是清はロンドンの金融街シテイで本格的な募集交渉を始める。同盟国のイギリスであったが、ビジネスについてはクールであった。 シテイでは、苦戦が予想される日本の外債の人気は無きに等しく、むしろロシアの外債の方が評判が良かった。 ロシアが負けた…

近江屋遭難5日前

後藤象二郎の日記には「龍馬は十一月五日、福井を発して京へ帰り、薩長の勤王党と相図り頻りに心を新政府組織の事に苦しむ」とある。龍馬が苦慮したのは新政府の財政基盤。金札を発行して、新政府の財源とするなど、もう龍馬の考えはもう新政府の運営におよ…

近江屋前後

高知に1000丁のライフル銃を運びこんだ龍馬は、10月9日上京して海援隊本部のある酢屋に入った。 10日、陸援隊の白川陣屋に龍馬を迎えた慎太郎は、用意した兵器や高張り提灯などを示し、「いつでも決起出来る」という意気込みを見せた。板倉筑前介か…

日露戦争・高橋是清ー経済戦争①

いくら日本がロシアに宣戦布告をしたくとも戦費の計算が付かなければ泣き寝入りするしか道は無い。ところが驚いたことに時の日本政府は空っぽの財布の底を眺めながら開戦へと踏み切った。 まあ無茶をしたもんで、これが勢いと片づけていいものか。 開戦直前…

藩論を読みなおそう

PHP新書木村幸比古著「龍馬暗殺の謎」の巻末に第二海援隊を率いた長岡謙吉らにより明治元年12月に刊行された「藩論」の原文と説明文があった。140年たってもさして変わらない日本を感じた。「藩主」は「国会議員・政治家」に、「家臣」は「官僚」に置き換…

中岡慎太郎は龍馬を何と呼んだのか

もうかれこれ3年も前のことになろうか。大胆にも、分を弁えず、日本で最初の人物検定として、龍馬検定として、功名心に先走り、龍馬検定・神戸編をやっちゃいました。 何せ、まずは100問の問題を造ることから始めないといけない。それには参考にするべき…

龍馬最後の言葉「中岡兄如何」・樋口眞吉

あれ程龍馬さんとの密接な関係があるのに龍馬伝ではとんと取り上げられなかった人物の一人が樋口眞吉だ。樋口は大石新影流の剣豪として知られ長剣を用い、これが土佐に広まった。龍馬暗殺の当時は下級役人・徒目付として他藩の動きを内偵。 暗殺現場にもいち…

龍馬伝いよいよ最終話

この10カ月、最初は欠かさず観ていたNHK・龍馬伝もいよいよ次回で終了となる。 我々が知る龍馬さんとNHK・福山龍馬とのイメージのギャップはともかく、そのストーリーの苦し紛れに編み出した有り得ない絵巻に、突っ込む事にも疲れ果て、最近は観たり見なかっ…

容堂公の純愛物語②

思いもよらず藩主となった豊信(とよしげ)は2年後、烏丸光政の長女正(なお)を京都から正妻として迎えた。思いもよらぬと云う事では、彦根藩主井伊直弼も同じといえる。 その豊信は英明であったが、気性が激しく、思い込むと一途なところがあるお殿様だっ…

容堂公の純愛物語①

龍馬伝では33歳ぐらいにも拘わらず、白髪シルバーの姿で毎回歯ぎしりを噛んでいる容堂公。 確かに、大酒のみでおまけに甘いもの好きで、虫歯・歯痛にはかなり悩ませられたとか。 その容堂公、正しくは土佐藩15代藩主豊信(とよしげ)公の墓は高知にはありま…

薩長同盟締結前夜・中岡慎太郎登場

この乙丑の変の半年前、征長総督付参謀の西郷が不戦に先だって提示した条件の中で、長州藩がもっとも難色をしめしたのは、攘夷派公卿五人(七卿の内2人は死去)の身柄引き渡しであった。 幕府は五卿を別々の藩に移転させようとしたのだが、間に入った福岡藩…

福岡筑前藩勤王党の悲劇②

ところがこの頃より朝敵とされる長州を擁護する福岡藩に幕府が疑念を抱き始めた。 第二次長征が行われれば福岡藩もその標的になるとの風評が立った。 之に動揺した藩内では保守派が勢いを盛り返し、勤王党と対立するようになった。 そこで加藤は、藩内の意志…

筑前勤王党の悲劇①

案外忘れられているのが幕末福岡藩の動きである。 今、NHK龍馬伝ではまるで薩長同盟が龍馬のオリジナルな発想で、同盟成立も龍馬が一人で取り仕切ったかのような話になっているが、決してそうではなかった。 そもそも薩長両藩の和解をもっとも早く模索したの…

近藤長次郎の長刀

長次郎2度目の出府の際、富士川を渡る時、雨後の逆流で舟が転覆し持物を全て失って裸同然で土佐藩砂村下屋敷に到着した。この砂村には土佐藩抱工刀鍛冶左行秀が邸内に鍛練場を造り刀鍛冶、鉄砲鍛冶として働いていた。長次郎はこの行秀を頼りにして出府した…

容堂のうめき

NHK龍馬伝の毎回必ず姿を見せるのが山内容堂である。御隠居様、老候と言われているが、まだ33歳の筈。しかし、近藤正臣演じる容堂の髪はかなりの老人を彷彿させる。人物考証もしっかりやって欲しいもんだ。 その容堂は井伊大老から一橋派とみなされて土佐藩…

スミス・アンド・ウエッソン銃

高杉晋作が龍馬さんに護身用として贈った拳銃と同じものが松山市で発見され、持ち主から高知県立坂本龍馬記念館に寄贈された。喜んだ記念館は早速それまでのレプリカと入れ替えて展示を開始した。 やっぱり本物は手ごたえが違うのうてなもんだ。森健志郎館…

萩市・有備館道場

龍馬は1862年武市半平太の書状を持って萩に行き、10日間滞在した。 この間、長州藩・有備館道場で剣術を披露、また久坂玄瑞等と接触し、在野の志士が決起すべし(草莽倔起) との教示を受けた。 その結果、2ヶ月後の脱藩につながった。 ここまでは数ある脱…

いろは丸売買契約書発見

いろは丸関連をもう一件。 竜馬の「いろは丸」契約書発見 瀬戸内で沈没 坂本竜馬が瀬戸内海で乗船中に衝突して沈没した蒸気船「いろは丸」を、大洲藩が購入した際のポルトガル語の契約書が見つかり、愛媛県大洲市が23日、内容を翻訳して発表した。 これま…

いろは丸絵図発見か

読売新聞の記事コピー 発表によると、いろは丸と見られる絵図は、幕末の1844~68年に佐賀藩士が長崎港に入港した艦船などをつづった記録誌「白帆注進外国船出入注進」(鍋島報效会所蔵)に掲載されていた。絵図には、「十月二十四日 深堀亀ヶ崎出船」…

いろは丸賠償金の行方

龍馬研究第174号が送られてきました。日本一熱心に龍馬さんを研究し続けておられるグループ、高知の龍馬研究会の会報です。そのうちP8の佐々木高行についての研究のうち、「いろは丸の賠償金も処理」の項を以下引用いたします。 『いろは丸の賠償金、7…